しゃんぎり祭り参加。早着替えもした。

たけとよの歴史

しゃんぎり祭りに参加してきた。早着替えもした。

太鼓の音って、耳じゃなくてお腹で聞くものだと思っている。

今年もしゃんぎり祭りに参加してきました。しかも今年は追い綱責任者という役付き。なんかえらそうな名前だけど、要するに「下り坂で山車が暴走しないように後ろで綱を引っ張る人の取りまとめ役」です。地味だけど大事。たぶん大事。

武豊町の伝統行事「早着替え」

しゃんぎり祭りは、この地域最大の神事です。まず式典がある。神社での神事に正装で臨む、厳かな時間。議員という立場なので、自分はスーツで参加します。祝詞が読まれて、空気がぴしっとする。

で、式典が終わると——着替えます。

スーツを脱いで、祭り衣装に袖を通す。この早着替えは自分だけじゃなくて、地域の議員さんや役員さんたちも同じことをやっている。つまり武豊の祭りには、「さっきまでスーツだった人が山車を引いている」という光景が普通に発生する。これが何十年と続いてきた。

もはやこの早着替え自体が、伝統なのかもしれない。

「議員・谷川」から「上ケ組・谷川」へ。切り替わるのは衣装だけじゃなくて、まとう空気も全部変わる。どっちも本物の自分なんだけど、後者のほうが素の谷川に近い。

外から見ているだけじゃ、つまらない。中に入りたい。一緒にやりたい。勤務先のチタコーポレーションにも「現場主義」という文化があるんだけど、現場に行く、手を動かす、一緒にやってみる。祭りも仕事も、基本的な姿勢は同じだなと思っている。

ちなみに早着替えのタイムは年々上がっている気がする。これも一種の伝統。

動かざること山の如し。の車

追い綱責任者をやってみて、あらためて実感したことがある。

山車って、本当に一人では1ミリも動かない。

綱を引く人、舵を取る人、太鼓の人、笛の人、山車の上で人形を操る人、周囲の安全を見る人。全員が全員の役割を果たして、初めてあの重たい山車が動く。複数の視点から仲間の動きを見渡していると、その「全員で動いてる感」がより鮮明に見えた。

そして毎年、ちゃんと動くんです。

段取りを覚えて、役割を引き継いで、また来年もやる。その繰り返しが何百年も続いている。すごくないですか、これ。感動した。本当に。

みんなが集中して曳き出す瞬間。かっこいい。

一緒に汗かくとビールがうまい。

現場主義のいいところはもう一つあって、一緒に動いていると、人の本音が自然と出てくる。

「最近、若い子が減ってきたよなあ」「あの段取り、昔からやりにくいんだよね」「でもやっぱりこの祭り、好きだわ」

会議室では絶対に出てこない言葉が、汗をかきながらだと出てくる。整理される前の、生の感覚がある。そして、汗をかいたあとのビールが最高です。うまい。人間って酔うと本音も出やすいしね。祭りにはそういう場面もある。これ貴重。

ただ、聞いた声をそのまま「みんなそう言ってたから」で動くのは違う。現場の声は羅針盤。でも羅針盤だけで航海はできない。声の奥にある本質を読み解いて、長い目で判断する。それが仕事だと思っている。

ぅひゃーらぅ(※文字化けじゃないよ)

お囃子には楽譜がない。

じゃあどうやって覚えるかというと、口で教わる。「ここはぅひゃーらぅって感じで」みたいな伝え方をされる。最初は「???」ってなる。でも繰り返しているうちに、「ぅひゃーらぅ」が何のことかわかるようになってくる。

これって完全に、形から入っている。

で、いろんな曲を覚えていくと、あることに気づく。神社に向かうときの曲、お墓の前を通るときの曲、それぞれ違う。お囃子には奉納という側面があって、地域の安全や繁栄を願う気持ちがそこに込められている。

「ぅひゃーらぅ」を繰り返しているうちに、いつの間にかそういう心の部分に触れていた。形から入ったら、心に行き着いていた。

心から入る人も、形から入る人も、行き着く先は同じだった

この祭りへの入り方って、人によって全然違う。

「好きだから形を覚えよう」という人もいる。「とりあえずやってみたら好きになった」という人もいる。自分はたぶん後者で、形をがんばってやっていたら、気づいたらこんなところまで来ていた。

でも面白いのは、どちらのルートをたどっても、行き着く先が同じだということ。「この祭りが好きだ」「この町が好きだ」という気持ちに、最終的にはみんな同じ場所に立っている。

だとすれば、入り口はなんでもいい。

結局、たけとよが好きだという気持ちが伝統の核心だと思う

太鼓の音と、子どもたちの声と、大人たちの笑い顔の中を歩きながら、そんなことをぐるぐると考えていた。

形式や作法には、長い時間をかけて磨かれてきた意味がある。「ぅひゃーらぅ」だって、何十年もかけて洗練されてきた伝え方だ。その形を大切にする気持ちも、ちゃんと意味がある。ただ、その奥にあるのは結局、この町が好きだという気持ちだと思う。

たけとよが好きだという気持ちが、伝統の核心だ。

形が先でも、心が先でも、それは変わらない。そしてその気持ちを次の世代に手渡すことが、本当の意味での継承なんじゃないかと、今年のしゃんぎり祭りで改めて思った。

たぶん、来年も、早着替えします。


同じ祭りについて、もう少し硬めに考えたことも書いています。よければこちらも。
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