たけとよの歴史、はじめます。

父と出かける機会は、そう多くはなかった。
でも、一緒に過ごした時間が楽しかった記憶がある。そのそばに、いつも歴史があった。城だったり、古い街並みだったり。特別に「歴史を学ぼう」という感じではなかった。ただ、父と一緒にいる時間の中に、過去の人たちの話が自然に混じっていた。
気づいたら歴史が好きになっていた。たぶんそういうことだと思う。
古い地図との出会い
武豊町の歴史をちゃんと知りたいと思ったのは、議員になる前のことだ。
家を建てようと思ったとき、古い地図を見た。今とは違う地名、今とは違う道筋、今とは違うまちの輪郭。その地図を見た瞬間、このまちの時間の重さのようなものを感じた。
その地図が今も見つからない。どこかで見たはずなのに、手元にない。だからずっと探している。
そのときの感覚が、この連載を始めた理由の一つだと思う。
足元に眠っている話
武豊町に生まれ、育ち、議員になった。
調べれば調べるほど、知らないことが出てくる。有名ではないけれど、知ると見え方が変わる話が、足元にたくさん眠っていることに気づいた。
武雄神社の鎮守の森。明神戸の砂浜。三井家住宅と皆満寺の間の道。
何気なく通り過ぎていた場所に、積み重なった時間がある。
「たけとよの歴史」をはじめる理由
この連載は、そういう話を一つずつ掘り下げていくものです。
専門家が書く学術的な文章ではありません。武豊町が好きな一人の町民が、調べて、歩いて、感じたことを書く。そういうものにしたいと思っています。
間違いがあれば直します。知っている人がいれば教えてほしいです。このまちの歴史を、一緒に掘り起こしていけたら、それが一番うれしい。
次回——桶狭間の年、武豊に何があったか
1560年、永禄3年。
織田信長が今川義元を討った桶狭間の戦いは、武豊町から北へ数十キロの場所で起きた。しかしその同じ年、このまちでも動きがあった。
武雄神社の南東にかつてあった長尾城。そこを拠点にしていた岩田氏という一族。奪われた土地、選んだ側、そして最後の決断。
次回は、その話を書きます。

「たけとよの歴史」は、武豊町の歴史を一つずつ掘り下げていく連載です。町史や資料をもとに、できるだけ丁寧に書きます。

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