数字に体温が宿るまで ── 琵琶湖と比叡山に挟まれた二日間

たいけんしたこと

今回は、どこにも寄れませんでした。

前回の研修では、坂本城址に足を延ばしました。明智光秀ゆかりのあの場所に立ったとき、遠くへ来たはずなのに、なぜか少しだけ心がほどけて、アウェイがホームに変わっていくような感覚があったのを覚えています。けれど今回は、そんな寄り道の余裕もなく。

それでも、残念ではありませんでした。

宿泊した部屋の窓からは、琵琶湖が見えました。朝、カーテンを開けると、湖がただ静かにそこにある。外に出れば、今度は反対側に比叡山がどっしりと構えている。湖と山に挟まれて、ひたすら数字と向き合う二日間。観光はできなかったけれど、この景色だけで、じゅうぶんでした。

ここはJIAM。全国市町村国際文化研修所。全国から市町村の職員や議員が集まって学ぶ場所です。今回で二度目。テーマは、決算でした。

正直に打ち明けます。研修案内に「決算」の二文字を見たとき、私は少しだけ、背筋が伸びるような、それでいて気が重くなるような、不思議な感覚になりました。

決算。数字の話です。地味です。

予算なら、まだいい。来年こんなことをやります、という未来の話には、夢があります。でも決算は、終わったことの確認。使い終わったお金を、後ろを振り返って眺める作業。そんなイメージが、どうしても拭えませんでした。

「次につなげるためのものだ」

会場には92人。秋田から沖縄まで、新人もベテランも入り混じって座っていました。みんな、それぞれの町でお金の使われ方をチェックする立場の議員たちです。

講義が始まって、ほどなく、先生がこう言いました。

「決算は、終わったことの確認ではありません。次の予算につなげるためのものです」

不意を突かれた、という感じでした。

私はサラリーマンも兼業しています。会社では、決算がすべてです。一年がんばった結果が、そこで数字になる。利益が出れば報われ、出なければ次を考える。決算は終わりであり、同時に始まりでもある。会社員の感覚では、当たり前のことです。

なのに、なぜか議会の決算には、その「始まり」の手触りがなかった。終わったお金の話だと、勝手に決めつけていた。

考えてみれば、おかしな話です。一年間どうお金を使ったかを振り返らずに、来年の使い方なんて決められるはずがない。会社では当たり前にやっていることを、議員としての私は、ちゃんとできていただろうか。少し、恥ずかしくなりました。

「優等生」の落とし穴

研修では、いろんな指標の読み方を教わりました。財政力指数、経常収支比率、実質公債費比率。最初は呪文のように聞こえる言葉たちです。

でも、それを武豊町に当てはめてみると、急に景色が変わってきました。

武豊町は、国からの仕送りに頼らなくてもやっていける「不交付団体」。全国で85しかない、稼ぐ力のある町です。新しいことに挑戦する余裕を示す数字も、全国平均よりずっといい。

数字の上では、うちの町は優等生でした。

ちょっと、誇らしい気持ちになりました。武豊町、なかなかやるじゃないか、と。

ところが、その高揚を、先生の言葉がすっと冷ましました。

「財政力指数が高くても、健全とは限りません」
「財政診断は、現在の相対的な比較でしかない。将来は、予測できません」

胸の奥が、ひやりとしました。

今がいいことと、これからも大丈夫なことは、別なんだ。テストでいい点を取った子が、来年も取れるとは限らないのと同じで。今の数字は、あくまで「今、ほかの町と比べたら」の話でしかない。

優等生だと安心した次の瞬間に、その安心ごと足元をすくわれたような気がしました。

数字は嘘をつかない、でも

このとき、ふと、昔どこかで聞いたフレーズが頭をよぎりました。

「数字は嘘をつかない。しかし、嘘つきは数字を使う」

これは、自分への戒めだと思っています。

武豊町は優等生だ、という数字を見たとき、私はうれしくなって、その数字に飛びつきそうになりました。逆に、もし何かを批判したいとき、都合のいい数字だけを切り取って並べることだって、やろうと思えばできてしまう。数字は、使う人の心によって、いくらでも色がついてしまうものなんです。

数字そのものは、嘘をつきません。73.2%は73.2%です。問題は、それを受け取る私のほうにある。

だからこそ、と思いました。偏った見方をしない。良いと言いたいから良い数字を探すのでも、悪いと言いたいから悪い数字を探すのでもない。まず事実をそのまま受け取って、フラットに判断する。当たり前のようでいて、これがいちばん難しい。優等生の数字に浮かれかけた自分を見て、心底そう思いました。

数字に、体温が宿る

二日間、ずっと数字と向き合っていました。

休憩のたびに、窓の外を見ました。琵琶湖は、時間によって表情を変えます。朝はやわらかく、昼は光って、夕方には少し寂しげになる。比叡山は、いつ見てもそこにある。動かずに、ただ町を見下ろしている。

そうやって湖と山を眺めていると、不思議なことが起きました。フラットに見ようと心を決めた数字が、今度は少しずつ、温度を持ち始めるんです。

経常収支比率73.2%という数字の向こうに、子育て支援の現場が見える。実質公債費比率の数字の奥に、いつか建て替えなければならない公共施設の屋根が見える。職員の退職という言葉に、いつもお世話になっている役場の人たちの顔が浮かぶ。

フラットに見ることと、冷たく見ることは、違うんですね。感情を交えずに事実を受け取る。けれど、その事実の裏側には必ず、誰かの暮らしがある。お金の話は、結局のところ、人の話なんです。

比叡山が、町を見下ろし続けてきたように。議員という仕事も、数字の向こうにある暮らしを、まっすぐに見続けることなのかもしれません。

本当に難しいのは、これから

休憩が終わり、ノートを見返しました。書き殴ったメモの端に、自分でこう書いていました。「全体の見方は分かった。でも、本当に難しいのは、個別の中身だ」

そうなんです。指標で町全体を眺めるのは、できるようになった。でも、一つひとつの事業を、それでよかったのかと問う作業は、これからです。武豊町のような小さな町では、むしろそっちのほうが、ずっと大事な気がしています。

研修の最中、その「個別の中身」をどう審議すればいいか、ひとつ思いついたことがありました。今のように議員が一人ずつバラバラに質問するのではなく、関係する部署ごとに区切って、参加者全員でまとめて質疑していくスタイルです。たとえば福祉なら福祉、建設なら建設と、テーマごとに腰を据えて、みんなで多角的に掘り下げていく。そのほうが、論点が深まるし、議員それぞれの得意分野も活きてくるはずです。先進事例として紹介された藤枝市の委員会化の話を聞きながら、武豊町に合った形はこれかもしれない、と手応えのようなものを感じていました。

終わったことじゃない

最終日、最後にもう一度、窓から琵琶湖を眺めました。

決算は、終わったことじゃない。次の一歩だ。

来たときには気が重かったテーマが、帰るころには、不思議と前を向いた言葉に変わっていました。学ぶというのは、こういうことなのかもしれません。同じ言葉でも、入る前と出た後では、まるで違う重さを持っている。

どこにも寄れなかった二日間。でも、湖と山に挟まれて数字と格闘したこの時間は、どんな寄り道よりも、私の中に残りました。

数字は嘘をつかない。だからこそ、それを受け取る私が、フラットでいなければならない。武豊町の決算と、これからもそうやって向き合っていこうと思います。地味だけれど、大事な仕事として。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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