「たけとよの歴史」というシリーズを始めてみます。武豊のことを、武豊の視点で、ていねいに掘っていく連載です。初回のテーマは、意外に思われるかもしれませんが——桶狭間の戦いです。
教科書のあの合戦
永禄3年(1560年)5月。駿河・遠江・三河を治める大大名・今川義元が、大軍を率いて尾張に攻め込みました。迎え撃つのは織田信長。今川軍はおよそ2万5千、織田軍は3千ほどだったと言われています(兵数には諸説あります)。誰がどう見ても勝負にならないはずのこの戦いで、信長は義元の本陣を急襲し、義元は討ち死に。日本史の教科書に必ず載る「世紀の番狂わせ」、桶狭間の戦いです。
- 参考:刀剣ワールド「桶狭間の戦い古戦場」 https://www.touken-world.jp/dtl/okehazama/
合戦の流れをざっくり言うと、こうです。義元の侵攻に先立って、国境近くの鳴海城や大高城はすでに今川方に落ちていました。信長は大高城を囲むように丸根砦・鷲津砦を築いて対抗。義元は国境の沓掛城に入り、松平元康——のちの徳川家康です——に命じて両砦を攻め落とさせます。元康が大高城への「兵糧入れ」を成功させた話は有名ですね。そして順調に見えた進軍の途中、桶狭間で義元本隊が襲われた、というわけです。
実は「桶狭間がどこか」は決まっていない
面白いのはここからで、この超有名な合戦、戦場が正確にどこだったのか、今も決着がついていません。豊明市には「桶狭間古戦場伝説地」があり、名古屋市緑区には「桶狭間古戦場公園」があって、進軍ルートも含めて諸説あるのです。教科書に載るレベルの出来事でも、分からないことは分からないまま残っている。歴史って、そういうものなんですね。
- 参考:ホームメイト「桶狭間の戦いとは」 https://www.homemate-research-castle.com/useful/16973_tour_054/
で、なぜこのブログで桶狭間なのか
地図を見てください。桶狭間があるのは、知多半島の付け根のあたりです。武豊から北へ、直線でざっと20キロほど。
つまりあの天下分け目の合戦は、武豊の「近所」で起きた出来事なんです。そして当時の知多半島は、尾張の織田と、東から伸びてくる今川がせめぎ合う最前線でした。境目のこちら側とあちら側で、半島の城主たちはどちらに付くかを迫られていた。
その「境目の緊張」が、実は武豊にも及んでいました——という話を、これから何回かに分けて書いていきます。
次回は、桶狭間の6年前に知多半島で起きていた「もうひとつの信長の合戦」の話。舞台は、武豊のすぐ北です。

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