2026年8月29日、武雄神社の境内で「たけとよボドゲ日和」を開きました。夏休みが終わる直前の週末です。子どもたちにとって、最後の思い出づくりになっていたらうれしいなと思いながら準備していました。
今回は2回目です。第1回は昨年、2025年8月2日。同じ場所で、同じ思いで始めました(第1回の様子)。きっかけは、そのとき参加してくれた方から「またやってほしい」と言ってもらえたことでした。自分でも驚いたのですが、イベントをもう一度やる理由として、これ以上のものはないと思います。
前回は夏休みがはじまったばかりの土曜日、今回は終わる直前の土曜日。狙ったわけではないのですが、結果として夏のはじめと終わりに一度ずつ、ということになりました。
TACOPAの企画で、私は企画とプロジェクトリーダーを担当しています。TACOPAは TAKETOYO COMMUNITY PARK の略で、もともとは町主催のイベントから生まれたボランティア団体です。いまは武豊町の提案型協働事業に採択され、令和8年度は活動支援交付金を受けて「まちづくりや地域課題に取り組む(協働)人材の発掘とコミュニティの育成サポート」という事業名で動いています。
事業名だけ見るとかたい感じがしますが、実際にやっていることはプロギング、モルック、イベント運営とばらばらです。共通しているのは「メンバーのやりたいことを、みんなで形にする」というやり方だけ。今回のボードゲームも、そのうちのひとつでした。
流しそうめんをして、食べ終わったらそのままボードゲームを広げて、気がつくと夕方の少し手前でした。きちんと数えられてはいないのですが、全部で40人ほど。昨年よりはっきり増えました。思っていたよりずっと多くの人が来てくれたという実感があります。
ボードゲームは、世代の差をいったん消してくれる
年齢の離れた人同士が集まると、まず話題を探すところから始まります。それがけっこう難しい。
その点、ボードゲームには最初から「ルール」という共通言語があります。同じ卓についた瞬間、小学生も高校生も、私のような大人も、条件はだいたい同じになる。というより、子どものほうが強いこともよくあります。負けるとくやしいという気持ちに、年齢は関係ありません。
多世代交流というと少し身構えてしまう言葉ですが、実際にやっていたのは、ただ一緒に遊んでいただけでした。それでよかったのだと思っています。
ごはんの部分をどう設計したか
このイベントには、子ども食堂的な側面も持たせたいと考えていました。ただ、誰でもふらっと立ち寄れる形にはしていません。
食事は事前予約制にしました。調理場は神社にお借りしています。予約には大人の名前が必要で、そのうえで、当日は小学4年生以上であれば子どもだけでの参加も可としました。
この線の引き方には、それなりに考えたところがあります。食べものを扱う以上、把握できていない人数に出すことはできない。一方で、保護者が一緒でないと参加できない形にすると、来られる子が限られてしまう。だから「入口では大人とつながっておく、当日は子どもが自分の足で来られる」という設計にしました。
実際、当日は友だち同士で来てそのまま卓についていた子たちがいました。あの光景を見られただけでも、この形にしてよかったと思っています。
費用は、大人の参加者から一人500円をいただきました。子どもは無料です。それで足りない分は、TACOPAのほうで用意しています。
こういうことをわざわざ書くのかと思われるかもしれませんが、お金がどこから出ているかは、書いておいたほうがいいと思っています。続けていくつもりの取り組みなら、なおさらです。
なぜ、武雄神社でやりたかったのか
いちばん書いておきたいのは、この部分です。
武雄神社は、武豊町字上ケにあります。私が育った地区です。
子どものころに楽しかった思い出のある場所を、人は大切にしようとします。理屈ではなく、そうなる。私にとっての上ケが、たぶんそれです。
神社が長く続いてきたのは、その積み重ねなのだと思います。祭りに連れて行ってもらった子どもが、大人になって、こんどは準備する側にまわる。それを何度も繰り返してきた結果として、いまの境内がある。特別な誰かが守ってきたというより、想いが集まる場所が、集まりつづけたから残った。
ちなみに武雄神社の創建年は、はっきりしていません。神社の公式サイトによれば、境内が貝塚の上にあることなどから、奈良時代以前ではないかと言われているそうです。承久の変のあとには長尾城の一画のお社として祀られ、いまも4月に山車の出る例祭が続いています。100年どころの話ではありませんでした。
「武豊」という名前の決まり方
調べていて、これは書かずにいられないと思った話があります。
武豊という町名は、明治11年に旧長尾村と旧大足村が合併したとき、長尾村の氏神である武雄神社と、大足村の氏神である豊石神社から一字ずつ取ったものです。これは神社の公式サイトにも記載があります。
おもしろいのはその決まり方です。武雄神社のサイトに、町名由来の逸話として紹介されています。
はじめは村の名前から取ろうという話になり、長大村か大長村かで揉めた。どちらを頭に置くかで両村が譲らない。人口では長尾村が多いので、多数決にすれば決着はつくけれど、それをやると長尾が上で大足が下だと決めたことになってしまう。それは両方が避けたかった。
そこで長老たちが、お互いに譲れないところは譲れないままにして、両村が共通して敬っているものを探そう、と言い出した。行き着いたのが、両村の氏神さまでした。氏神さま・鎮守さまに上下はない、という考え方です。
多数決を使わずに、違いを違いのまま残したうえで、共通して尊敬できるものを見つける。それで町の名前が決まった。この決め方が148年後のいまも町の名前として残っていることに、素直に驚きます。町の名前そのものが、合意形成の記録になっている。
町内会も、町そのものも、同じ構造をしているのだと思います。続いているものには、続いてきただけの理由がある。
なお、この逸話について神社のサイトは、武豊町教育委員会が編んだ「武豊町むかしばなし」と当時の言い伝えをもとに意訳したものだと注記しています。細部がそのまま史実というより、町に語り継がれてきた話として受け取るのがよさそうです。
そういう神社の境内で、多世代でそうめんを食べてボードゲームをしていたわけです。出来過ぎている気もしますが、事実です。
だから私は、武雄神社を「なんだか懐かしい場所」だと感じる人を、一人でも増やしたい。それはたぶん、100年先のたけとよに効いてくる話です。
参考:武雄神社について/【武豊町】町名由来の逸話(武雄神社公式サイト)
おわりに
境内をお貸しいただき、調理場まで使わせてくださった武雄神社の皆さまに、あらためてお礼を申し上げます。
そして、準備から片付けまで動いてくれたTACOPAのメンバー。私は企画を出してリーダーの名前がついているだけで、段取りを回してくれる人、そうめんを流しつづけてくれる人、ゲームの説明をしてくれる人がいなければ、あの日は成立していません。来てくれたみなさんを含めて、全員でつくった一日でした。
3回目をやるかどうかは、まだ決めていません。
ただ、1回目から2回目が生まれたのは、私が決めたからではなく、参加してくれた方が「またやってほしい」と言ってくれたからでした。そして2回目は、1回目より人が増えました。だとすれば、次に続くかどうかも、たぶん私の手の中にはありません。
それでいいのだと思っています。ずっと私がやる必要はない。むしろ誰かが引き継いで、形を変えながら続いていって、いつかその誰かにとっての大切な場所になっていたら、それがいちばんいい。
この町の名前も、神社も、そうやって残ってきたはずなので。

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